地散言礫(チ-サン-ゲン-レキ)by kimaroki

基本 https://twitter.com/kimaroki の人ですが、長文を書きたいとき用に。

シュリンクしていく業界の中で

Rest In Peace, g.o.a.t.

…という訳で(縦書きできる以外これと言ったアドバンテージもなくダラダラ続いてたブログサービスが終了するので)恥ずかしながら戻ってまいりました(っても書いては消し書いては消しの繰り返しで残骸が一つ残ってるだけですが)。タイトルだけ移しましたが。「地に散りし言葉の礫」つまり「天声人語」の逆、天上ではなく地面からの言葉を紡ぐ、そんなイメージです。改めてよろしくお願いいたします。

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ここ10年ほど、印刷会社や新聞社を派遣だの契約だので渡り歩いてきた。守秘義務とかあるので細かい話はできないが、もうすぐ四捨五入で60歳になるような身で職にありつけているのはラッキーだしありがたいこと。ただ、新聞にせよ印刷にせよシュリンクしている業界であることは否定のしようがない。

新聞社も印刷会社も共通しているのは、作者(記者)が書いたり描いたり撮ったりしたものが多くの人の手や目を経て印刷され流通し人の目に届くということである。その過程を横から眺めていると、そこにかかる時間や手間をもどかしく感じるときが少なからずある。たとえばネットで話題になった事象をキチンと検証して新聞記事にしたとしても、5日後くらいに「やーやー我こそはマスコミなりこれが真実でぇござい」とか名乗ったところでそのとき騒いでた連中はもう他の話題に移ってて誰からも相手にされないのがオチだ。ネットの話題の“消費期限”は遅くても翌々日の朝くらい。個人がSNSやらブログやらにアップするコンテンツにスピードでは絶対に勝てない。

印刷もクライアントとのやりとりが発生するのは当然として、大手だとどこのクライアントも最初から完パケのデータ一式を送ってくれない。もとから印刷会社で調整するのは色味くらいだから本紙校正1〜2回だけでいい筈なのだが、その手前での出力を求めすぎている感がある。やり取りが増えるとデータの差分が広がってクライアントから最終データを求められることも多い。この辺りは双方が調整したり妥協したりすることでかなり改善されると思うのだが…。零細になると完パケと称したデータが塗り足し皆無なので人力で足すとか表紙+本文全68ページをイラレ見開き34ファイルで入稿とかいう案件(全部インデザに貼りこんでPDF変換して印刷→納品)もあった。こんなん先方が要領分かってりゃ印刷通販でええやんと思ったが、それは言わない約束らしい。

こういうことを考えるのは、自分が名刺や写真集を印刷通販で発注した経験があるからだろう、とは思う。印刷通販は基本“完パケ一発勝負”の世界だから、ある程度は自分の環境を整える必要があるけど、そこさえクリアすれば自力でかなり追い込んだものが作れる。そして新聞の発行や(紙の)印刷物の製作は今や新聞社や印刷会社にとってメインの事業ではない。富士フイルム銀塩フィルムから完全撤退しないように創業業態を事業全体から外すことはありえないが、重視されるようなものでもないので革新的な動きが起きるとも考えにくい。そういった中でいつまで“残存者利益”を拾っていけるのか。応用も効くようで効かないし環境も限られる。悩みを抱えながら働く日々が続く。

余談

togetter.com

今回のネタは↑からインスパイアされた部分が結構あって。「売上の差」は二桁違うとかいうツイートも見た気がしますが検索では見つからず(バズりすぎて消したかな?)。マスコミとか商業誌とかの“権威”めいたものが崩れてるんだなぁ、そういう中で自分はどうしたら生き残れる?的なことを考えてるうちにこんなんなりました。

【ブログを書く】「撒き餌カメラ」という新しい提案~FUIFILM X-T100レビュー【練習です(2年ぶり)】

デジカメが、すっかり高くなってしまった。
キヤノンニコンの新マウントフルサイズミラーレスならまぁ分かる(EOS RPは頑張ってると思う。ただしレンズはクソ高い)。ところがAPS-Cフォーサーズ勢までミョーに高級志向で、高性能&大型&高価格な機種ばかり出してくる。安いのは型落ちか、画像処理エンジン以外は枯れた設計の機種ばかり。もちろん収益性の高い機種中心にシフトしたい気持ちは分かるけど、もう(スマホ以外の)デジカメは庶民の持ち物ではなくなったのかなぁそんなことを考えていた2月のある日。発売から8か月(購入時点)でダブルズームセットが7万円弱、しかもキャッシュバックキャンペーンでさらに1万円引きという奇跡のタイミングでそいつは(LUMIX GX7mk2のショボいUIへの不満がたまっていた)僕の前に現れた。それがX-T100だったのである。LUMIX一式+1万円弱(実質無料)を差し出して待つことしばし、フジヤカメラの店員が「すいません、この色しか残ってないですけど、よろしいですか?」の念押しとともにダークシルバーのダブルズームセットの入ったデカい箱を持ってやってきた。帰宅してさっそく充電しながらキャッシュバックキャンペーン応募に向けて箱にハサミを入れ、バーコード部分を切り出す。そしてレンズを梱包から解いて最初の驚き。リアキャップがない!(かぶせるタイプの簡易なものは付いていたがマウントにかみ合わせるタイプではなかった。さすがに後日別途購入した)ここからケチるするのかぁ~といささかビックリである。

半年使ってみて感じた、ダメなところを早めに書いておく。まず、電源ON時にときどき「電源を入れ直してください」というアラートが出る。ググったところ、どうやらXシリーズではよく出る症状らしい。言われてみればレンズを下向きにしてスイッチを入れたときによく起きるようなで、レンズを上向きにしてスイッチを入れると症状は出ない。何だそれ。
そしてオートフォーカスがトロい。速度こそまずまずだが追尾性能が絶望的にトロい。サッカーどころかアイドルのステージでさえダメダメだった。暗いところも弱いし、明るいところでも少し日陰になるとピントが迷ったり外れたりするので油断ならない。が、結構暗い場所で(こりゃアカンやろ)と思いながら撮ったのが意外と合ってたりもするのでもっと油断ならない。

あと、当たり前だけどセンサーにゴミが簡単に付く。クリーニング機能は一応あるけど、当然ながら(完全シールド設計の)フォーサーズにはかなわない。レンズ交換後、画面にデカい斑点が現れたこと数回。取り急ぎブロワーを弱く吹いたら(開放絞りでは)消えたけど、帰宅して絞り込んでチェックしたらしっかり残ってた。市販のクリーニングキットも試したが力の入れ加減がよく分からず効果もイマイチ。ホントにこれは各メーカー考えてほしい。一眼レフのクリーニングモード(シャッター開放)の逆で、レンズ交換のときシャッター閉じるモードとかできんのかね。それだけで十分違うと思うけど。
もう一つ付け足すと、操作系のカスタマイズができる範囲が少ない。特にダイヤルの回転方向を変えられないのはちょっとしんどい。ここを割り切るとどれくらいコストダウンできるんだろう。結構大きいんだろうか。

つまり、これらの問題点が気にならなければ(あるいは割り切れれば)、そしてピントと露出がキチンと合いさえすれば、こいつは鬼ほどコスパのいいミラーレス一眼ということだ。

まず、レンズが良い。それもセットについてくる標準ズームがしっかり写るのだ。特にポートレートで髪や肌のディテールを結構しっかり描写してくれるのは意外だった。パンケーキ(薄型)タイプではないので設計に余裕があるのかもしれないし、フォーサーズAPS-Cのセンサーや画素ピッチの大きさの違いからくる印象の差かもしれないが、とにかくプラスチックマウントの実質1万円くらいで入手できるレンズがここまで写れば大健闘である。開放絞りは暗いので当然ボケ効果は薄いし、電動ズームなのでズーミングにはひと苦労するが、そこさえ割り切れれば十分に使えるレンズといえる。

そしてボディの操作感が良い。EVFの見え具合をLUMIX GX7mk2と比較するのは酷すぎるのだが、やはり大きくなると圧倒的にストレスが減って気持ちよく撮れる。ボディの大きさや(付属グリップ装着時の)ホールディング感もちょうどいい感じ。シャッター音は少しチープに感じる人もいるかもしれないが、LUMIXは静音設計ゆえモデルさんまでシャッターを切ったのが伝わらないことが多くて苦労したので、個人的にはこれくらい音がする方がありがたい。その辺りをどこまで意識して設計しているのかは不明だが(家電屋とフィルム屋の考え方の違いと言えるかもしれない)フォルムやダイヤルの操作感なども含めて全体的にカメラをいじってる感を感じられるのが良い。そんな感じで、細かいところに不満点はあるものの、全体的には良い買い物をしたと思っている。何しろこの価格である。買った時期が底値だったようなのでなおさら文句は言えない。そして使っていくうちに感じてきたことがある。全体的に高価格化が進む純正交換レンズが良心的な価格帯で収まってることや、撮っていて感じるビミョーな物足りなさが、物欲を刺激するのだ。

「撒き餌レンズ」という言葉がある。キヤノン50mmF1.8に代表される、コスパの高いレンズを指して“(レンズ)沼にいざなう”役割を担うかのような存在のレンズを指す。前述の通り、X-T100というカメラは決して“高性能”ではない。ただ、フツーにスナップや風景を撮るには十分な性能だし、ピントと露出が合えばしっかりした写真が撮れる。で、この価格である。それならば上位機種はもっと…という気分になってしまうのだ。
かくしてタイトルの「撒き餌カメラ」という言葉が誕生したのである。

…って、買って2週間で書いてたのかよ(苦笑)

おそらく、これからもデジカメは(コンパクト・一眼を問わず)高級化が進み、庶民の持ち物ではなくなっていくだろう。スマホのカメラでもかなりのことはできるようになっているし。ただ、そういう中でも撮影という行為に興味を持ち、本格的なカメラを持ちたいと思う人は確実に出てくる訳で、そういう人を取り込もうとするとき“入門機”というジャンルは必要だ。フィルムカメラ時代ならペンタックスME/MV1やオリンパスOM10、ニコンEM、ミノルタX-7のような存在。デジタル一眼レフならEOSkissシリーズとかD5000/3000シリーズなのだが、やはりこれからは確実にミラーレス一眼になっていくのだから(EOS Mシリーズは将来的には終息していくだろう。ミラーレスマウントを大小併用していくのなら、それこそフジのようにAPS-Cとオーバー35mmくらいに振り分けないと両立できないと思う)やはりミラーレス一眼でそのような機種を各社ラインアップしていく必要がある。

 参考:望遠ズームの作例▼

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(2枚ともトーンカーブ修正、1枚目は縮小、2枚目は等倍切り出し)


女の浪費は美しく、男の浪費は醜く見える(のか?)

※劇団雌猫著『浪費図鑑−悪女たちのないしょ話−』(小学館)の感想文です。若干ですがネタバレあり。

もともとは「もぐもぐ」さんこと、この著者集団の一員であるH.Yさんに対する数年来の興味が最初のキッカケである。大学時代に書いたブログに感心することしきりで、あー新しい書き手が出てきたなー、こうやって自分の感性を直接世間に問うていく人がこれからフツーになるんだろうなー、とか思ったのを憶えている。とにかく面白いこと・楽しそうなことにどんどん首を突っ込んでいく感じが面白くも羨ましくもあった。

大学卒業後、彼女は某ネットメディアの営業〜記者を経て、現在は別の某ネットメディアで記者として働いているらしい。そんな彼女が一員となり“インターネットで言えない話”をコンセプトにした同人誌を作ってコミケに出すという。面白くない訳がない。とはいえそんなに売れることもなかろうし、コミケの後でどっかの店に出たら買おう…甘かった。コミケ即完、店舗分も秒殺。仕方ないのでネット通販で本体と同額くらいの送料がかかるのもアホらしいと送料無料にしたいがためにヴィレヴァン謎のかいまき布団みたいのといっしょにポチった(これも浪費である)。デカい段ボールが届き、ドキドキしながらページを開けた…読めない(苦笑)小さくて細(くて薄)いフォントの前に呆然とした。100均で虫めがねを買って頑張ったけど実は現在も読破できてない。49年半裸眼で生きてきたのでそういうのに適したルーペ類とか知らんかったのだ、勤務先のショーウィンドウで見るまでは(因みに拡大されてたのは藤井4段関連の新聞記事だった)。

同人誌とかいう割には多くの人の手に渡り、菊地成孔氏澤部渡(スカート)氏も絶賛したらしい。そしてなんと「商業書籍が出ます!」という。そりゃ買わんわけにはいかんでしょう。あの読みにくさも改善されるだろうし。勤務先のビル内にある書店にamazonのページを見せて注文した(社員証を見せれば5%引き)。店員さんが書名をメモるのに難儀している風だったのでISBNコードの画面を出したらえらくありがたがられた…オススメです。

発売前重版が決定してしまいました!!!」なんて景気のいい話もタイムラインに流れてきつつの発売日、の2日後に入荷。「やっぱ“メジャー”は違うなー」というのが第一印象。そう、これを買ったのは「インディーズ(自主出版)本が口コミで評判になりメジャー(出版社発行)デビューする」瞬間を体感するという目的もあるのだ。イラストはカラフルになり、ケケ中先生のインタビューもあり、そして何より読みやすい(笑)。フォント大きくて太くて助かるわー。かくしてサクサクと読み進む。冒頭から“あんスタで課金マウンティング”“親に借金してまで刀剣乱舞の同人誌を買い漁る”“推しメンにビザが下りなかったEXOダラス公演に行く”“ミッキー撮りたさで一眼買った年パス持ち”“バンギャル(行動形態が既視感だらけ←)”などなど畳みかけてくる。そして本編のトドメは“触ってもらってついでにキレイになりたい(マッサージ→ヘッドスパ→タッチアップ)”ときたもんだ。頭痛が痛い(物理的にではなく感覚として)。そして押し寄せてくる既視感に思う。こんなんウチの知り合いに山のようにおるわ(本人含む)!性別と若干の指向性の違いだけじゃねーか!なんも珍しくねーわ!女ってだけでチヤホヤされてカルカル満員にしやがって!!(そこ?

・・・落ち着こう。

なんか、キレイなのだ。おそらく話を直接聞いたり行動を目の当たりにすれば間違いなくイタい筈なのに可愛げさえ感じてしまうのだ。満面の笑みを浮かべながらKinKiKidsをぶん回すあだっちーみたいな(好きなアニメの話になると挙動不審になる生駒ちゃんとか松井玲奈でも可)“許される感”みたいのが出てるというか。同じことを男がやったら絶対「キモい」しか言われないだろうに。この前新人AV女優のイベントに行ったとき、女性が2人も前に並んでて驚いてたら自分の後ろにカップルが来てもっと驚いた、あの感じ。そのテの現場に行き過ぎてるせいか、女性の参加者を見ると一瞬(おっ)ってなってミョーに一目置いてしまう、あの感じ。性差的なニュアンスで括ってしまうのはいけないかもしれないが、華やかさや羨ましさ、純粋な気持ちのようなものをどうしても感じてしまうのだ。お金と引き換えに満足感を得るということでは一緒なのに。ズルい。

そして自分の経験も合わせて強く感じたのは、他人から見たら「浪費」にしか思えないことも当人にとっては切実なんだ(ろうな)ということ。「承認欲求」と書くと俗な感じだが、そりゃあ推しの新人俳優がブログで自分のプレゼントしたマフラーを身に着けてくれてたら嬉しくなって予算も上がるだろうし(本文より)撮影会で撮った写真をtwitterにアップしてモデルさんがRTしてくれたりアクティビティが増えたりしたら嬉しくなってまた行こうと思うのだ(自分)。運命を感じてしまったらホストだろうが(本文より)ヘルス嬢だろうが(自分)お金をかけるのは止められない。冷静に考えれば“この投資がいつか報われる”保証なんて微塵もないんだけど、満足感を得る方法やその境地に至る諸事情は人それぞれであり、人の道を法規的に(道義的に、ではない)外れない限り他人にとやかく言われる筋合いもまた、ないのだ。

amazonのレビューを見ると賛否両論(やや非が多め)といったところか。「同人誌のままでよかった」という声が意外と多い気がするが、地下アイドルがメジャーデビューしたらつまらなくなっていくようなものだからそう書きたくなる気持ちは分かるし、同時に出版社がこういう分野に目をつけたことも評価されるべきだとも思う。“インフルエンサー”としてのレガシーメディアやエコシステムの存在はまだまだ大きく、使う価値があるのだから。日本中に様々な形で生息するであろう“趣味で浪費する人”たちにこの本やこういう人たちのことを気付いてもらえたら、とりあえずはそれが一番いいことではないか。その広がりをどれだけすくい取り次に活かしていけるか、小学館の担当編集者氏の役割は案外重要なのである。

余談:前述のカルカルイベントに行こうかと一瞬思い、念のためにともぐもぐさんにリプしたところ、丁重に脅された(言い方←)のを思い出しました・・・

 

「断」の年から。

一応「マスコミ」と区分される企業で働いている(記事に直接関われる部署ではない)者として、アメリカ大統領選挙の開票日(私の誕生日でもありました)のフロアがビミョーな空気になる感じは結構貴重な体験だった。開票が進んでいくうちに「えっ?ええっ??」って雰囲気になっていく感じとか。報道系のフロアよりはずっと穏やかだったと思うけど、それでも「予想してた流れと違う」感みたいのはひしひしと感じて。…もちろん、自分の中にそういう感情があったのも含めて。

既視感があった。平松邦夫氏が橋下徹氏に敗れた、大阪市長選だ。
ツイッターでフォローしていた関西在住の人で、橋下氏の支持する発言をする人はいなかった。むしろ平松氏をハッキリと支持していた。自分も橋下氏の発言に不快感を感じていたので、そう考えるのが自然だよな…と思っていた。
東京五輪・パラ招致もそうだ。自分の周囲で明確に支持している人は一人もいなかった。むしろハッキリと不支持を表明する人の方が多かった。個人的には後から「そりゃイスタンブールマドリードみたいな(ヨーロッパ目線で見たら)危なっかしいとこでやるよりはアジアの儲かってそうなとこでやる方を望むよなぁ」と無理矢理思い込むようにしたけど。
昨今の国政選挙もその範疇に入るかもしれない。もちろん野党が圧倒的に頼りないというのは感じたけれど、それでも少なくとも政権与党に投票しようという気にはなれなかったし、実際そうした。

クラスタライズされた世の中。タイムライン的な世界観。
そういう中で自分たちは生きているのだなぁ、と今更ながら痛感する。

イギリスのEU離脱をめぐる国民投票アメリカ大統領選挙の結果は世界に「私たちと違う考えを持つ人はたくさんいる」ことを容赦なく晒した。何というか、自分の眼前から無意識のうちに避けていたそういう現実がドン!と押し寄せてきたような感覚が最近、すごくあるのだ。それぞれの思想を持った人たちのコミュニティとその間を隔てる結界、そして結界を超えて飛び交う言葉の応酬。それがPCやスマホのディスプレイ越しに見えてきて、自分の頭の中で戦争系ゲームの画面っぽく(やったことないのであくまでイメージですが)再構成される、そんな感じ。
さて、そういう感覚を職場の同じフロアの人たちは持っているのか。同業他社の動きは常にウォッチ対象となるし、攻防戦のようなものもあるわけだが、飛び交う言葉は「あーまたあっちが何か言ってるねー」的なのんびりしたものなので可能性はあまり高くなさそう。そんな呑気なこと言ってる場合か“戦時体制”ちゃうのか今は!くらいに思うのだが、どうやら彼らの頭の中には長年の経験から組み上げられた自分とは違う画面が見えているらしい。同じフロアなのに自分だけがパラレルワールドにいるような…と言ったら盛りすぎだが、そんな感じになることは多い。
恐らくだが(そもそも怖くて聞けん←)この図式はずーっと前から、それこそ彼らがここに就職した頃から続いてるんだろう。中途入社もいるけど(知る限りは)同業他社ばかりだから持ってる感覚は同じ。“田舎のプロレス”じゃないけど、お約束的な流れがずっとあって、その流れに乗っていれば結構いい給料と充実の福利厚生が保証される。そういう景色がこの人たちにとっての日常なのだろう。“会社で働く”ということは規模の大小を問わずそういうことであり、自分は大学を出てから何らかの組織の中で働きながらも、その恩恵を強く感じずに生きてきたってことでもある。

マスコミ系企業という勤務環境のせいもあるだろう、そんなことを考え続けながら過ごしてきたこの1年だった。
報道系もデジタル対応が進み、ネットでどんなことが話題になっているか、自社配信のどんな記事がアクセスされているかをリアルタイムで分析するシステムを整備しているらしい。それはそれでいいと思うが、下手をすれば世間に過剰に迎合してしまうんじゃないかという感じもする。言うべきことは採算度外視で言う、そういう心意気を失わないでほしいなぁ…と思う。派遣社員ごときに言われたくないだろうけど。
そして何より、マスコミ系企業で働く人々はこの分断された世の中をつなぐ役割を担っている、というかそれが残された最後の役割だというくらいの自覚を持ってほしい。筆が進まなかった間にDeNAがキュレーション分野でやらかしてくれたが、その背景にはマスコミの体たらくも少なからずあると思ってくれないと困る。「あーその話ウチで記事にしたのにねー」とかふんぞり返ってる場合じゃない(そういう現場を見たことはないが、そう思ってそうな人が結構いそうな気がする、というか自分もDeNA Paletteとか知らんかったもん、Spotlightは名前だけなら知ってたけど。何だよ「スマホで読んで楽しむワイドショー」って)。

…まぁ、自分はバカなりに自分でこさえて責任持って発信しなきゃなぁと思う年の瀬でありました。(「今年の漢字」が明日発表と聞いて慌てて〆ている←←)

写真をいじれないなら、文章を書けばいいじゃない。〜49歳になりました〜

約3年半頑張ってくれたMacBookPro(初代RetinaDisplayモデル、整備済商品)がそろそろ寿命のようです。
ボード周りは大丈夫そうですが、液晶が明らかにへたってきました。
色味がおかしくなったと思って久しぶりにColorMunki Displayキャリブレーションをかけたら、明らかに画面全体が暗くなったのです。元の設定に戻したら更に変になってるし。レタッチした写真をiPhoneで表示したら、階調が飛びまくって誤差どころじゃない始末。
クラムシェルモードにして別売の液晶でも買えば延命はできますが、そしたらキーボード必須だしMacを縦置きするスタンドとか欲しくなるに決まってるし、何よりRetina級の液晶を単体で買ったら結構高い。No Retina,No Mac.

折しも新型MacBookProが発表。あーTouch Barはいらねーな、13インチにして同時発売の4Kディスプレイと一緒に買ってクラムシェルモードで、でもそしたらせっかくのデカいトラックパッドが…と思いつつ何となくiMacの価格を見てびっくり、なんと大幅に値下げしてるじゃあーりませんか。必要そうなオプション全部足しても18万円強!たぶん合計3万円くらいの値下げ!税込で20万円ギリギリ切る!これはAppleの気が変わらんうちに買ってしまわねば!(何やその理屈)とポチポチ注文。支払いは超低金利の提携ローンにしてアウトだったら考え直せばいいや…と思ったら割と早くOKの返事が来てしまい、それはそれで焦る(苦笑)
かくしてたまりにたまった撮影会の写真に手を付けられないまま、帰宅してもボーッとしてることの多いここ数週間なのです。

写真といえば、FlickrのアカウントをなぜかBanされてしまいまして。元画像はMacに保存してたとはいえ、以前にも経験があるとはいえ、環境を再構築する手間もさることながら、viewのカウントを見ながらウケる写真の傾向とかを分析?するのが楽しかったり、海外の方にも見ていただけたことが嬉しかったりしたので、精神的なダメージが思いの外大きくて。

そんな感じの中で、また一つ歳を取りました。
年明けにお大師様行ったら護摩札に「五十歳」って書かれるんですよ。何だかなぁ。こんなに重みのない49歳でいいんだろうかと凹んでたりもするのですよ、一応。面白い人生ですけどね。特にここ何年かはそれなりに大きな会社で働いてるし、お金はないけど精神的にはそこそこ充実してるのは幸いなことだと思ってます。

月並みですが、これからもよろしくお願いします。