【再開記念】勝ちに来たK-Pop、見せに行くJ-Pop。そして、アジアンポップスの行方【下書きに残ってた】
※ブログの「下書き」を確認してたら出てきた、おそらく尻切れで放置してたであろう駄文を以下に放出します。おそらく2019年5月頃に書き始めていたものと思われます。その点をご了承の上ご覧ください。なお、リンク先が切れていた部分を削除しています。ご了承ください。
「コーチェラ(・フェスティバル)」と呼ばれる、音楽フェスがある。
欧米の音楽事情に詳しくないので初めて知ったのだが、毎年春にカリフォルニアの砂漠地帯で行われる大規模な音楽フェスで、今年で20回目を迎えたのだという。
その“コーチェラ”に出演したアジア人女性アーティストに関する記事が、音楽ファンの間で(ちょっと)物議を醸した。
Twitterでの反応は賛1:否3〜4くらいの印象を受けるが、K-Popに多少でも明るい人なら、このライター氏がいかに(日韓双方に)愛のない文章を書いているかが分かるだろう。ググってみても、変な批判記事しか書かない人として一定の認知を得ている印象だ。キーワードの散りばめ方が上手いのでサイト側としては広告収入を確保する上で重宝するのだろうし、コレきっかけで自分に2年弱ぶりでブログ書こうと思わせた効果はあるけど、ライター/ジャーナリストとしてはどうなのよ。
…という訳で自分なりに何か書いてやろうと思い立ち、いろいろググったりウィキったりしてる最中に、ある勘違いをしていたことに気がついた。
SUPER JUNIOR 슈퍼주니어 '쏘리 쏘리 (SORRY, SORRY)' MV
スーパージュニアの大ヒット曲「SORRY,SORRY」である。
「この曲から“K-Pop”は始まった」くらいの曲だと自分は思っているのだが、なぜか2008年の曲だと思っていたのである。
2009年だった。そういや少女時代の「Gee」とミュージックバンクの1位争いしたんだから2009年だ。台湾のバラエティ番組「我愛黑澀會」の父の日企画で黑澀會美眉(黑Girl)のメンバーの父親に「SORRY,SORRY」を踊らせるという企画をやったのも、台湾HIT FMの年間チャートで1位を獲ったのも調べ直したら2009年だった。なんで間違えて覚えていたのか…謎である。
我愛黑澀會 *20090810 pt.4/5 今晚為我尖叫吧! Mei爸 薰爸 大變身
2008年にこんなことやってる暇はない。アルバム出したんだから。イベント行ったもん(懐)
「SORRY,SORRY」の話に戻る。
この曲には以降のK-Popにつながる二つの大きな特徴がある。繰り返しのハングルの響きが印象的な歌詞と簡単な(ように見える)ポイントダンス(後にPSYが命名)である(日本だとKARA「ミスター」の“ヒップダンス”の方が分かりやすいかも)。どこまで意識して作ったのかは分からないが、言葉が分からなくても楽しめることの効果は大きく、そこに世界的なインターネットの普及が重なり、結果として日本以外のアジア諸国では大ヒットし、前述のようなバラエティのネタとして使われたり、ジャパンフェスティバル的なイベントでのダンスコンテストの出場者が披露したりした。近年は曲の傾向が異なっていたり、YouTubeやSNSの影響度が高くなったりしているので単純には当てはめられないし、もちろんその下地として「シュリ」「JSA」「冬のソナタ」などの映画・TVドラマの存在があったり「韓流」という言葉が生まれるきっかけとなったBaby V.O.Xの中国進出があったりもするのだが、この曲が現在の世界的なK-Popムーブメントの基礎となり、大げさに言えば韓国の政府や国民が海外を意識する一要素となったのである。お手本を持つ国は強い。
(あと、野望がある人がいる国も強い。JYPパク・ジニョン氏やSM Ent.イ・スマン氏、YG Ent.ヤン・ソンヒョク氏といった大手芸能事務所の創業者が海外進出への野望を持ち続けてきたこともまた、K-Popの海外進出へのモチベーションの一つとなったことは間違いない。よく言われる「エンタメ業界のビジネス規模が日本の数十分の1だから」という説は理由の一つではあるが全てでもない)
翻って日本は?と考えると、アニメやコスプレにせよアダルトビデオにせよ、昔も今もあまり海外への展開を意識していないようだ。文化の独自性を維持・醸成していくにはいいことだし、最近の“シティポップブーム”もその一つかもしれない。ただ、心配なことはある。総じて受け身である、ということだ。
今でこそ普通に行われている海外でのアニソン公演も、確か水木一郎氏だったと思うが、最初に南米の国に招待されたときは何が何だか分からないまま現地に赴き、あまりの歓迎ぶりに驚いたと言っていたのを憶えている。アダルトビデオで言えば夕樹舞子氏が初めて香港に招待されたときも、現地で待ち構えていた大量のファンに驚いたことを「トゥナイト2」で語っていたのを見たことがある。ただ、ともに20世紀の話。現在は情報を受信するにせよ発信するにせよ、ずっと容易かつ迅速に行えるようになったのだが、それを活かしているメジャーなアーティストは殆どいない。たまにいてもこの仕打ちだ(下記リンクは少し古い話なのでYouTubePremium日本導入で改善されていることを祈るが、もし改善されてたとしてもPremium限定だろう)。
若いのに意固地になってる人もいるし、それを支持するファンが思いのほか多いのは心配にさえなる。
俺とヤバTはCDを売る。時代錯誤なことくらいわかってるよ。でも俺らはCDを売る。 https://t.co/8dwiZFSJo8
— 岡崎体育 (@okazaki_taiiku) January 8, 2019
先日拝見したあるトークショーでもK-Popの日本展開におけるある障壁についての話があり愕然とした(オフレコ厳命なので詳細は伏せますが、国際的なルール違反の可能性もあるので表沙汰になったら結構な大事です)のだが、日本の音楽業界は音源からの直接的な収益にこだわりすぎて、勢い余って日本国内から(ハングルの)K-Popを遠ざけようとさえしている。世界市場でK-Popの後塵を拝していることを未だに理解していない(というか認めたくない)のだろう。もちろんファンには関係ない。今までどおり(世界の多くのK-Popファンと同じく)ネットで曲を聞き、情報を集め、楽しむだけである。
さて、話は(かなり)強引に冒頭のコーチェラに遡る。
BLACKPINKは金曜の2列目、Perfumeは日曜の5列目にラインナップされている(他に韓国のロックバンドHYUKOHがPerfumeと同列に、日本人Vo.野口オロノが所属するSuperorganismが土曜の7列目にある)。デビューして2年も経たないBLACKPINKがこのポジションにいて、どこまで受け入れられたのよと思ったら、こうである。
BLACKPINK FULL SET HIGHLIGHTS @ COACHELLA 2019
少しでも後方から撮られているファンカムを探してみたが、一番大きなステージにそれなりの客を集め、しかもそこそこシンガロングしてるレベルまで彼女たちの存在が浸透していることに驚かされる。リズムセクションがバンドセットなのも相まって、音楽フェスにふさわしい雰囲気を作り上げている。煮えたぎるレッドオーシャンに自ら首を突っ込み、死屍累々をかき分け成果を上げていく、これがK-Popの“姿勢”であるということを改めて感じた。では日本、Perfumeはどうか。こんな感じであった。
Perfume Live at SXSW | STORY (SXSW-MIX)
「コーチェラちゃうやん!」と思ったアナタ、仕方ないのです。肝心要の「Coachella Curated」で配信された映像は(少なくともYouTubeで検索した限りでは)発見できなかったから、たまたま引っかかった(似てる感じの)SXSWの画を持ってくるしかないのです。因みに実際の現場のファンカムだとこんな感じ。
Perfume - Story - Coachella 2019 Weekend 1
屋外の中規模の(それでも結構大きいが)ステージ。別の動画では強風でスクリーンが倒れそうになってスタッフが支えるようなシーンも発見したりでコンディションは万全でなかったとはいえ、分かりやすさに欠けたステージングであった感じがする。確かに「Rolling Stone」が評したように“レイヴ・パーティ”としては一級品だったとしても“テクノロジーを(現場で)見せる”という点においては消化不良だったように感じる。「Coachella Curated」で流れたリアルタイムエフェクトバリバリの映像群をもっと現場の観衆に届けることを考えないと。方向性はともかく、これくらいまでカジュアルにしないと内輪受けで終わってしまう。
付け加えると、Week1で生配信を行ったBLACKPINKがTwitterトレンドで世界1位を獲った一方、Perfumeが配信を行わなかったことは世界中のファンを失望させた。この辺りにも商機を逃さないK-Popとおっとり刀で構えるJ-Popの差が出てしまった。日本はまたしてもテクノロジーで勝って、ビジネスで負けるのだろうなと思わずにはいられなかった。
BLACKPINKとPerfume。同じ東アジアの女性トップアーティストが、ステージの大きさに差こそあれど、同じ音楽フェスにどのようなスタンスで参加したのか。
大げさに言えば、そこに日韓エンタメ関係者のスタンスの違いが出ている気がした。
YG Ent.とBLACKPINKはアジアツアーの勢いをそのままに、ネット上のファンダムを具体化し、バズらせ、ステイタスを得るためにコーチェラに乗り込んだ。
アミューズとPerfume(とライゾマティクス)はワールドツアーと過去の経験値に基づき、自分たちのやり方を見せる場所としてコーチェラに乗り込んだ。
それぞれに自分たちが評価してほしかった層からの評価は得られたように思う。ただ、それらがフラットに並べられたときに、どちらに具体的な効果がもたらされるかと言えば、答えは日本にとって悲観的にならざるを得ない。それを取りに行こうという実行力が足りないのが現在の日本のエンタメ、ひいては日本国そのものなのではないか。それくらいのことを考える。
…よし、やっとタイトルにたどり着いたぞ(汗)
(てか、2年半前はまぁまぁバランスできてるじゃん!)
たどり着いたついでに、もう少し。
ここ1ヶ月くらいはQ-Popなる音楽をよく聞いている。ざっくりと言ってしまえばカザフスタン版K-Popのことである。どこまで世界を視野に入れているかは分からないが、YouTubeチャンネルはやたらと充実している。24/7のストリーミングだってある。
カザフがGAKKUならベトナムはYEAH1。数年前は結構見てたなぁ…
シュリンクしていく業界の中で
…という訳で(縦書きできる以外これと言ったアドバンテージもなくダラダラ続いてたブログサービスが終了するので)恥ずかしながら戻ってまいりました(っても書いては消し書いては消しの繰り返しで残骸が一つ残ってるだけですが)。タイトルだけ移しましたが。「地に散りし言葉の礫」つまり「天声人語」の逆、天上ではなく地面からの言葉を紡ぐ、そんなイメージです。改めてよろしくお願いいたします。
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ここ10年ほど、印刷会社や新聞社を派遣だの契約だので渡り歩いてきた。守秘義務とかあるので細かい話はできないが、もうすぐ四捨五入で60歳になるような身で職にありつけているのはラッキーだしありがたいこと。ただ、新聞にせよ印刷にせよシュリンクしている業界であることは否定のしようがない。
新聞社も印刷会社も共通しているのは、作者(記者)が書いたり描いたり撮ったりしたものが多くの人の手や目を経て印刷され流通し人の目に届くということである。その過程を横から眺めていると、そこにかかる時間や手間をもどかしく感じるときが少なからずある。たとえばネットで話題になった事象をキチンと検証して新聞記事にしたとしても、5日後くらいに「やーやー我こそはマスコミなりこれが真実でぇござい」とか名乗ったところでそのとき騒いでた連中はもう他の話題に移ってて誰からも相手にされないのがオチだ。ネットの話題の“消費期限”は遅くても翌々日の朝くらい。個人がSNSやらブログやらにアップするコンテンツにスピードでは絶対に勝てない。
印刷もクライアントとのやりとりが発生するのは当然として、大手だとどこのクライアントも最初から完パケのデータ一式を送ってくれない。もとから印刷会社で調整するのは色味くらいだから本紙校正1〜2回だけでいい筈なのだが、その手前での出力を求めすぎている感がある。やり取りが増えるとデータの差分が広がってクライアントから最終データを求められることも多い。この辺りは双方が調整したり妥協したりすることでかなり改善されると思うのだが…。零細になると完パケと称したデータが塗り足し皆無なので人力で足すとか表紙+本文全68ページをイラレ見開き34ファイルで入稿とかいう案件(全部インデザに貼りこんでPDF変換して印刷→納品)もあった。こんなん先方が要領分かってりゃ印刷通販でええやんと思ったが、それは言わない約束らしい。
こういうことを考えるのは、自分が名刺や写真集を印刷通販で発注した経験があるからだろう、とは思う。印刷通販は基本“完パケ一発勝負”の世界だから、ある程度は自分の環境を整える必要があるけど、そこさえクリアすれば自力でかなり追い込んだものが作れる。そして新聞の発行や(紙の)印刷物の製作は今や新聞社や印刷会社にとってメインの事業ではない。富士フイルムが銀塩フィルムから完全撤退しないように創業業態を事業全体から外すことはありえないが、重視されるようなものでもないので革新的な動きが起きるとも考えにくい。そういった中でいつまで“残存者利益”を拾っていけるのか。応用も効くようで効かないし環境も限られる。悩みを抱えながら働く日々が続く。
余談
実際に、同人(個人活動)の方が、商業より稼ぎ多くて、商業は宣伝、箔付けみたいな方も増えてきてますよね。聞いた話では「コミケ出すんで連載休みたい」ということもあるとか(編集側が、売上の差を見て、休載を受け入れたとか)。
— かっきい/ラジオをつくろう!C99 31日(金)東M05b (@kakkytweet) 2022年1月7日
今回のネタは↑からインスパイアされた部分が結構あって。「売上の差」は二桁違うとかいうツイートも見た気がしますが検索では見つからず(バズりすぎて消したかな?)。マスコミとか商業誌とかの“権威”めいたものが崩れてるんだなぁ、そういう中で自分はどうしたら生き残れる?的なことを考えてるうちにこんなんなりました。
【ブログを書く】「撒き餌カメラ」という新しい提案~FUIFILM X-T100レビュー【練習です(2年ぶり)】
デジカメが、すっかり高くなってしまった。
キヤノンやニコンの新マウントフルサイズミラーレスならまぁ分かる(EOS RPは頑張ってると思う。ただしレンズはクソ高い)。ところがAPS-Cやフォーサーズ勢までミョーに高級志向で、高性能&大型&高価格な機種ばかり出してくる。安いのは型落ちか、画像処理エンジン以外は枯れた設計の機種ばかり。もちろん収益性の高い機種中心にシフトしたい気持ちは分かるけど、もう(スマホ以外の)デジカメは庶民の持ち物ではなくなったのかなぁ…そんなことを考えていた2月のある日。発売から8か月(購入時点)でダブルズームセットが7万円弱、しかもキャッシュバックキャンペーンでさらに1万円引きという奇跡のタイミングでそいつは(LUMIX GX7mk2のショボいUIへの不満がたまっていた)僕の前に現れた。それがX-T100だったのである。LUMIX一式+1万円弱(実質無料)を差し出して待つことしばし、フジヤカメラの店員が「すいません、この色しか残ってないですけど、よろしいですか?」の念押しとともにダークシルバーのダブルズームセットの入ったデカい箱を持ってやってきた。帰宅してさっそく充電…しながらキャッシュバックキャンペーン応募に向けて箱にハサミを入れ、バーコード部分を切り出す。そしてレンズを梱包から解いて最初の驚き。リアキャップがない!(かぶせるタイプの簡易なものは付いていたがマウントにかみ合わせるタイプではなかった。さすがに後日別途購入した)ここからケチるするのかぁ~といささかビックリである。
【関係各位】カメラ、買い換えました。 pic.twitter.com/BM915BxMrh
— kimaroki(A.O.) (@kimaroki) February 14, 2019
半年使ってみて感じた、ダメなところを早めに書いておく。まず、電源ON時にときどき「電源を入れ直してください」というアラートが出る。ググったところ、どうやらXシリーズではよく出る症状らしい。言われてみればレンズを下向きにしてスイッチを入れたときによく起きるような…で、レンズを上向きにしてスイッチを入れると症状は出ない。何だそれ。
そしてオートフォーカスがトロい。速度こそまずまずだが追尾性能が絶望的にトロい。サッカーどころかアイドルのステージでさえダメダメだった。暗いところも弱いし、明るいところでも少し日陰になるとピントが迷ったり外れたりするので油断ならない。が、結構暗い場所で(こりゃアカンやろ)と思いながら撮ったのが意外と合ってたりもするのでもっと油断ならない。
昨日撮った写真(1) #spatio @渋谷アイドル劇場(シダックスカルチャーホール)“隠れ美少女県”らしく3人ともカワイイし正しくアイドルしてるなぁと感心しつつ、撮影可とはいえ客の約2/3がカメコで盛り上がりに欠けた感も。X-T100のAFは全く追いつかなかったが高感度特性は結構ある感じ(3200で撮影 pic.twitter.com/D5jORXv9Ui
— kimaroki(A.O.) (@kimaroki) May 12, 2019
あと、当たり前だけどセンサーにゴミが簡単に付く。クリーニング機能は一応あるけど、当然ながら(完全シールド設計の)フォーサーズにはかなわない。レンズ交換後、画面にデカい斑点が現れたこと数回。取り急ぎブロワーを弱く吹いたら(開放絞りでは)消えたけど、帰宅して絞り込んでチェックしたらしっかり残ってた。市販のクリーニングキットも試したが力の入れ加減がよく分からず効果もイマイチ。ホントにこれは各メーカー考えてほしい。一眼レフのクリーニングモード(シャッター開放)の逆で、レンズ交換のときシャッター閉じるモードとかできんのかね。それだけで十分違うと思うけど。
もう一つ付け足すと、操作系のカスタマイズができる範囲が少ない。特にダイヤルの回転方向を変えられないのはちょっとしんどい。ここを割り切るとどれくらいコストダウンできるんだろう。結構大きいんだろうか。
つまり、これらの問題点が気にならなければ(あるいは割り切れれば)、そしてピントと露出がキチンと合いさえすれば、こいつは鬼ほどコスパのいいミラーレス一眼ということだ。
まず、レンズが良い。それもセットについてくる標準ズームがしっかり写るのだ。特にポートレートで髪や肌のディテールを結構しっかり描写してくれるのは意外だった。パンケーキ(薄型)タイプではないので設計に余裕があるのかもしれないし、フォーサーズとAPS-Cのセンサーや画素ピッチの大きさの違いからくる印象の差かもしれないが、とにかくプラスチックマウントの実質1万円くらいで入手できるレンズがここまで写れば大健闘である。開放絞りは暗いので当然ボケ効果は薄いし、電動ズームなのでズーミングにはひと苦労するが、そこさえ割り切れれば十分に“使える”レンズといえる。
新デジカメの初戦は友田彩也香さん @tomodaayaka イベントとなりました。まぁ〜発色が良い!とても7万円弱(+キャッシュバック1万円)とは思えない。ローパスあるから若干シャープさには欠けるけど許容範囲。キットレンズの描写力もなかなか良い。フィルム屋恐るべし… pic.twitter.com/h7slqiGRUD
— kimaroki(A.O.) (@kimaroki) February 22, 2019
15年10月以来の個撮だった春野恵大先生 @haruno_megumi 途中で「Tバックありますけど」って言われて着替えてもらったら…とってもよろしかったです。 pic.twitter.com/scnSoETdNZ
— kimaroki(A.O.) (@kimaroki) June 22, 2019
念願だったももかさん @momokasi0312 の個撮。寝不足で体調良くなかったり広くはないスタジオにモデルさんひしめいてたりで難儀したけど彼女のスキルと心遣いに助けられました。 pic.twitter.com/eFTRpmv6LU
— kimaroki(A.O.) (@kimaroki) August 4, 2019
そしてボディの操作感が良い。EVFの見え具合をLUMIX GX7mk2と比較するのは酷すぎるのだが、やはり大きくなると圧倒的にストレスが減って気持ちよく撮れる。ボディの大きさや(付属グリップ装着時の)ホールディング感もちょうどいい感じ。シャッター音は少しチープに感じる人もいるかもしれないが、LUMIXは静音設計ゆえモデルさんまでシャッターを切ったのが伝わらないことが多くて苦労したので、個人的にはこれくらい音がする方がありがたい。その辺りをどこまで意識して設計しているのかは不明だが(家電屋とフィルム屋の考え方の違いと言えるかもしれない)フォルムやダイヤルの操作感なども含めて全体的に“カメラをいじってる感”を感じられるのが良い。そんな感じで、細かいところに不満点はあるものの、全体的には良い買い物をしたと思っている。何しろこの価格である。買った時期が底値だったようなのでなおさら文句は言えない。そして使っていくうちに感じてきたことがある。全体的に高価格化が進む純正交換レンズが良心的な価格帯で収まってることや、撮っていて感じるビミョーな物足りなさが、物欲を刺激するのだ。
「撒き餌レンズ」という言葉がある。キヤノン50mmF1.8に代表される、コスパの高いレンズを指して“(レンズ)沼にいざなう”役割を担うかのような存在のレンズを指す。前述の通り、X-T100というカメラは決して“高性能”ではない。ただ、フツーにスナップや風景を撮るには十分な性能だし、ピントと露出が合えばしっかりした写真が撮れる。で、この価格である。それならば上位機種はもっと…という気分になってしまうのだ。
かくしてタイトルの「撒き餌カメラ」という言葉が誕生したのである。
新デジカメ=X-T100初戦は光の条件が厳しい現場へ。ピント周りが少し弱いかなー。あとシャッター切った後に画像が戻るまでのタイムラグの長さも気になる。ただ…ダブルズームセットで67100円(購入時)のキットレンズでここまでの画が撮れるのはすげーよ。撒き餌レンズならぬ撒き餌カメラだなこりゃ。 pic.twitter.com/8JhXcJ4zJX
— kimaroki(A.O.) (@kimaroki) February 27, 2019
…って、買って2週間で書いてたのかよ(苦笑)
おそらく、これからもデジカメは(コンパクト・一眼を問わず)高級化が進み、庶民の持ち物ではなくなっていくだろう。スマホのカメラでもかなりのことはできるようになっているし。ただ、そういう中でも撮影という行為に興味を持ち、本格的なカメラを持ちたいと思う人は確実に出てくる訳で、そういう人を取り込もうとするとき“入門機”というジャンルは必要だ。フィルムカメラ時代ならペンタックスME/MV1やオリンパスOM10、ニコンEM、ミノルタX-7のような存在。デジタル一眼レフならEOSkissシリーズとかD5000/3000シリーズなのだが、やはりこれからは確実にミラーレス一眼になっていくのだから(EOS Mシリーズは将来的には終息していくだろう。ミラーレスマウントを大小併用していくのなら、それこそフジのようにAPS-Cとオーバー35mmくらいに振り分けないと両立できないと思う)やはりミラーレス一眼でそのような機種を各社ラインアップしていく必要がある。
FUJIFILM X-T100簡易レビュー
— kimaroki(A.O.) (@kimaroki) April 26, 2019
👍安い
👍キットレンズ(標準ズーム)の解像度は十分高い
※望遠ズーム未使用
👍カッチリした操作感
👍付属グリップを装着すればまずまずのホールド感
👎暗所のAFが弱い
👎謎の「電源を入れ直してください」アラート
👎シャッター切って画面が戻るまで長い
総評:コスパ高
参考:望遠ズームの作例▼
(2枚ともトーンカーブ修正、1枚目は縮小、2枚目は等倍切り出し)
女の浪費は美しく、男の浪費は醜く見える(のか?)
※劇団雌猫著『浪費図鑑−悪女たちのないしょ話−』(小学館)の感想文です。若干ですがネタバレあり。
もともとは「もぐもぐ」さんこと、この著者集団の一員であるH.Yさんに対する数年来の興味が最初のキッカケである。大学時代に書いたブログに感心することしきりで、あー新しい書き手が出てきたなー、こうやって自分の感性を直接世間に問うていく人がこれからフツーになるんだろうなー、とか思ったのを憶えている。とにかく面白いこと・楽しそうなことにどんどん首を突っ込んでいく感じが面白くも羨ましくもあった。
大学卒業後、彼女は某ネットメディアの営業〜記者を経て、現在は別の某ネットメディアで記者として働いているらしい。そんな彼女が一員となり“インターネットで言えない話”をコンセプトにした同人誌を作ってコミケに出すという。面白くない訳がない。とはいえそんなに売れることもなかろうし、コミケの後でどっかの店に出たら買おう…甘かった。コミケ即完、店舗分も秒殺。仕方ないのでネット通販で本体と同額くらいの送料がかかるのもアホらしいと送料無料にしたいがためにヴィレヴァンで謎のかいまき布団みたいのといっしょにポチった(これも浪費である)。デカい段ボールが届き、ドキドキしながらページを開けた…読めない(苦笑)小さくて細(くて薄)いフォントの前に呆然とした。100均で虫めがねを買って頑張ったけど実は現在も読破できてない。49年半裸眼で生きてきたのでそういうのに適したルーペ類とか知らんかったのだ、勤務先のショーウィンドウで見るまでは(因みに拡大されてたのは藤井4段関連の新聞記事だった)。
同人誌とかいう割には多くの人の手に渡り、菊地成孔氏や澤部渡(スカート)氏も絶賛したらしい。そしてなんと「商業書籍が出ます!」という。そりゃ買わんわけにはいかんでしょう。あの読みにくさも改善されるだろうし。勤務先のビル内にある書店にamazonのページを見せて注文した(社員証を見せれば5%引き)。店員さんが書名をメモるのに難儀している風だったのでISBNコードの画面を出したらえらくありがたがられた…オススメです。
「発売前重版が決定してしまいました!!!」なんて景気のいい話もタイムラインに流れてきつつの発売日、の2日後に入荷。「やっぱ“メジャー”は違うなー」というのが第一印象。そう、これを買ったのは「インディーズ(自主出版)本が口コミで評判になりメジャー(出版社発行)デビューする」瞬間を体感するという目的もあるのだ。イラストはカラフルになり、ケケ中先生のインタビューもあり、そして何より読みやすい(笑)。フォント大きくて太くて助かるわー。かくしてサクサクと読み進む。冒頭から“あんスタで課金マウンティング”“親に借金してまで刀剣乱舞の同人誌を買い漁る”“推しメンにビザが下りなかったEXOダラス公演に行く”“ミッキー撮りたさで一眼買った年パス持ち”“バンギャル(行動形態が既視感だらけ←)”などなど畳みかけてくる。そして本編のトドメは“触ってもらってついでにキレイになりたい(マッサージ→ヘッドスパ→タッチアップ)”ときたもんだ。頭痛が痛い(物理的にではなく感覚として)。そして押し寄せてくる既視感に思う。こんなんウチの知り合いに山のようにおるわ(本人含む)!性別と若干の指向性の違いだけじゃねーか!なんも珍しくねーわ!女ってだけでチヤホヤされてカルカル満員にしやがって!!(そこ?
・・・落ち着こう。
なんか、キレイなのだ。おそらく話を直接聞いたり行動を目の当たりにすれば間違いなくイタい筈なのに可愛げさえ感じてしまうのだ。満面の笑みを浮かべながらKinKiKidsをぶん回すあだっちーみたいな(好きなアニメの話になると挙動不審になる生駒ちゃんとか松井玲奈でも可)“許される感”みたいのが出てるというか。同じことを男がやったら絶対「キモい」しか言われないだろうに。この前新人AV女優のイベントに行ったとき、女性が2人も前に並んでて驚いてたら自分の後ろにカップルが来てもっと驚いた、あの感じ。そのテの現場に行き過ぎてるせいか、女性の参加者を見ると一瞬(おっ)ってなってミョーに一目置いてしまう、あの感じ。性差的なニュアンスで括ってしまうのはいけないかもしれないが、華やかさや羨ましさ、純粋な気持ちのようなものをどうしても感じてしまうのだ。お金と引き換えに満足感を得るということでは一緒なのに。ズルい。
そして自分の経験も合わせて強く感じたのは、他人から見たら「浪費」にしか思えないことも当人にとっては切実なんだ(ろうな)ということ。「承認欲求」と書くと俗な感じだが、そりゃあ推しの新人俳優がブログで自分のプレゼントしたマフラーを身に着けてくれてたら嬉しくなって予算も上がるだろうし(本文より)撮影会で撮った写真をtwitterにアップしてモデルさんがRTしてくれたりアクティビティが増えたりしたら嬉しくなってまた行こうと思うのだ(自分)。運命を感じてしまったらホストだろうが(本文より)ヘルス嬢だろうが(自分)お金をかけるのは止められない。冷静に考えれば“この投資がいつか報われる”保証なんて微塵もないんだけど、満足感を得る方法やその境地に至る諸事情は人それぞれであり、人の道を法規的に(道義的に、ではない)外れない限り他人にとやかく言われる筋合いもまた、ないのだ。
amazonのレビューを見ると賛否両論(やや非が多め)といったところか。「同人誌のままでよかった」という声が意外と多い気がするが、地下アイドルがメジャーデビューしたらつまらなくなっていくようなものだからそう書きたくなる気持ちは分かるし、同時に出版社がこういう分野に目をつけたことも評価されるべきだとも思う。“インフルエンサー”としてのレガシーメディアやエコシステムの存在はまだまだ大きく、使う価値があるのだから。日本中に様々な形で生息するであろう“趣味で浪費する人”たちにこの本やこういう人たちのことを気付いてもらえたら、とりあえずはそれが一番いいことではないか。その広がりをどれだけすくい取り次に活かしていけるか、小学館の担当編集者氏の役割は案外重要なのである。
余談:前述のカルカルイベントに行こうかと一瞬思い、念のためにともぐもぐさんにリプしたところ、丁重に脅された(言い方←)のを思い出しました・・・
どうぞ!しかし会場にいらっしゃる方、ほとんど女性だとは思います…!
— もぐもぐ💸✨ (@mgmgnet) 2017年7月20日
「断」の年から。
一応「マスコミ」と区分される企業で働いている(記事に直接関われる部署ではない)者として、アメリカ大統領選挙の開票日(私の誕生日でもありました)のフロアがビミョーな空気になる感じは結構貴重な体験だった。開票が進んでいくうちに「えっ?ええっ??」って雰囲気になっていく感じとか。報道系のフロアよりはずっと穏やかだったと思うけど、それでも「予想してた流れと違う」感みたいのはひしひしと感じて。…もちろん、自分の中にそういう感情があったのも含めて。
既視感があった。平松邦夫氏が橋下徹氏に敗れた、大阪市長選だ。
ツイッターでフォローしていた関西在住の人で、橋下氏の支持する発言をする人はいなかった。むしろ平松氏をハッキリと支持していた。自分も橋下氏の発言に不快感を感じていたので、そう考えるのが自然だよな…と思っていた。
東京五輪・パラ招致もそうだ。自分の周囲で明確に支持している人は一人もいなかった。むしろハッキリと不支持を表明する人の方が多かった。個人的には後から「そりゃイスタンブールとマドリードみたいな(ヨーロッパ目線で見たら)危なっかしいとこでやるよりはアジアの儲かってそうなとこでやる方を望むよなぁ」と無理矢理思い込むようにしたけど。
昨今の国政選挙もその範疇に入るかもしれない。もちろん野党が圧倒的に頼りないというのは感じたけれど、それでも少なくとも政権与党に投票しようという気にはなれなかったし、実際そうした。
クラスタライズされた世の中。タイムライン的な世界観。
そういう中で自分たちは生きているのだなぁ、と今更ながら痛感する。
イギリスのEU離脱をめぐる国民投票とアメリカ大統領選挙の結果は世界に「私たちと違う考えを持つ人はたくさんいる」ことを容赦なく晒した。何というか、自分の眼前から無意識のうちに避けていたそういう現実がドン!と押し寄せてきたような感覚が最近、すごくあるのだ。それぞれの思想を持った人たちのコミュニティとその間を隔てる結界、そして結界を超えて飛び交う言葉の応酬。それがPCやスマホのディスプレイ越しに見えてきて、自分の頭の中で戦争系ゲームの画面っぽく(やったことないのであくまでイメージですが)再構成される、そんな感じ。
さて、そういう感覚を職場の同じフロアの人たちは持っているのか。同業他社の動きは常にウォッチ対象となるし、攻防戦のようなものもあるわけだが、飛び交う言葉は「あーまたあっちが何か言ってるねー」的なのんびりしたものなので可能性はあまり高くなさそう。そんな呑気なこと言ってる場合か“戦時体制”ちゃうのか今は!くらいに思うのだが、どうやら彼らの頭の中には長年の経験から組み上げられた自分とは違う画面が見えているらしい。同じフロアなのに自分だけがパラレルワールドにいるような…と言ったら盛りすぎだが、そんな感じになることは多い。
恐らくだが(そもそも怖くて聞けん←)この図式はずーっと前から、それこそ彼らがここに就職した頃から続いてるんだろう。中途入社もいるけど(知る限りは)同業他社ばかりだから持ってる感覚は同じ。“田舎のプロレス”じゃないけど、お約束的な流れがずっとあって、その流れに乗っていれば結構いい給料と充実の福利厚生が保証される。そういう景色がこの人たちにとっての日常なのだろう。“会社で働く”ということは規模の大小を問わずそういうことであり、自分は大学を出てから何らかの組織の中で働きながらも、その恩恵を強く感じずに生きてきたってことでもある。
マスコミ系企業という勤務環境のせいもあるだろう、そんなことを考え続けながら過ごしてきたこの1年だった。
報道系もデジタル対応が進み、ネットでどんなことが話題になっているか、自社配信のどんな記事がアクセスされているかをリアルタイムで分析するシステムを整備しているらしい。それはそれでいいと思うが、下手をすれば世間に過剰に迎合してしまうんじゃないかという感じもする。言うべきことは採算度外視で言う、そういう心意気を失わないでほしいなぁ…と思う。派遣社員ごときに言われたくないだろうけど。
そして何より、マスコミ系企業で働く人々はこの分断された世の中をつなぐ役割を担っている、というかそれが残された最後の役割だというくらいの自覚を持ってほしい。筆が進まなかった間にDeNAがキュレーション分野でやらかしてくれたが、その背景にはマスコミの体たらくも少なからずあると思ってくれないと困る。「あーその話ウチで記事にしたのにねー」とかふんぞり返ってる場合じゃない(そういう現場を見たことはないが、そう思ってそうな人が結構いそうな気がする、というか自分もDeNA Paletteとか知らんかったもん、Spotlightは名前だけなら知ってたけど。何だよ「スマホで読んで楽しむワイドショー」って)。
…まぁ、自分はバカなりに自分でこさえて責任持って発信しなきゃなぁと思う年の瀬でありました。(「今年の漢字」が明日発表と聞いて慌てて〆ている←←)